ソルロンタン

2024年2月某日

 2月の上旬に、卒業旅行でゼミの友人たちと韓国に初上陸した。卒業旅行と言っても、僕は大学3年のときにきちんと単位を取得し切らなかったせいで、大学4年の今学期まで試験や課題に追われるはめになったのだから、ここで言う卒業とはあくまで前借金のようなものである。来月に卒業通知を受け取って、それを以てこの度の思い出の返済をしなければならない。しかしたとえ僕が留年となり、その返済が滞るどころか新たに両親からもう1年分の授業料を拝借するなどということになったとしても、旅先で食べたソルロンタンの味が衰えるというわけでもない。以前に偉い先生が、「人は過去の思い出を現在の色に染める」ということを言っていたけれど、僕が思うに現在の色に染まるのは自分や他者などの人間に関わる思い出だけであって、いくら現在が苦しかろうとかつて食べた美味しいものはやはり美味しいものとして、かつて見た美しい景色はやはり美しいものとして記憶に刻まれて、それ以降改ざんされることはない。

 ところでなぜ旅行先を韓国にしたのかと言えば、ゼミにひとり、韓国人の留学生がいて、その子(Aさん)が帰国がてらに僕たちゼミメンバーを案内してくれるという運びになったからである。2月某日の午前11:00頃に仁川国際空港に到着し、そこから空港鉄道に乗ってソウル市内へと移動する道中、窓外は雪でも降りそうなどんよりと暗い空模様がどこまでも続いていた。収穫が終わって素っ裸になった畑の中に、小さな団地のような無機質な鉄の建物がぽつんと佇んでいるのが、なんとなく物悲しい。

 そのうちに、ホテルのある明洞に到着した。朝8:00頃の飛行機に乗ってから何も食べていないので、お腹が空いている。Aさんが、創業122年だという「里門」というソルロンタンのお店に連れて行ってくれた。ソルロンタンという名前を初めて聞いたけれど、韓国のクッパであるとAさんが教えてくれた。店は路地裏を入ったところにひっそりと佇むガレージのような建物で、鉛色の雲が立ち込めた空を背景にそのガレージが建っているので、余計に年季が入っているように見える。15:30くらいに店に着いたが、開店は16:30であったので、中途半端に時間が余った。開店までの1時間、ずっと我慢していたのでは皆のお腹がもたない。Aさんの案内で、近くの道路脇に建っていた屋台で小腹を満たすことにした。独特の貫禄のある無愛想なお婆さんが切り盛りしている屋台で、以前博多に行ったときの中洲の屋台でも同じようなお婆さんが博多ラーメンを作って出してくれたのを思い出す。Aさんが韓国語でテキパキと人数分の注文をしてくれているのを、寒さと空腹でぼんやりした頭で、無責任に横目で見ていた。やがてお婆さんが、無愛想な表情のまま韓国のおでんとトッポギを出してくれた。地面に段ボールが敷いてあって、その上に立ったまま魚のすり身のようなおでんの串を頬張った。しばらく何も入っていなかった口の中に汁をたっぷりふくんだすり身が入ってきて、噛むと身がむにっとへこんで熱い汁が溢れ出してきた。とても美味しい。寒さと空腹で麻痺した頭が覚める気がした。ふとカウンターの方を見ると、紙コップにおでんの汁をいれたのが人数分置いてあった。お婆さん、有り難く頂戴します。口に含むと、程よい塩気があって少し甘い。それだけで身体がぽかぽかとする気がして、あとは一気に飲み干した。もちもちとしたトッポギも美味しく頂いて、最後に食べ切った串と紙コップを返すとき、慣れないながらも「カムサハムニダ」とそれとなく言ってみたら、お婆さんが受け取りながら心なしか表情を緩めて、何か言ったような気がした。何と言ったのかは分からない。

 16:30までまだ大分時間があるので、歩いて行ける曹渓寺というお寺を観光した。日本のお寺の建物よりも、豪華絢爛という感じがする。門の構えも立派で、建物全体が赤とエメラルドグリーンで彩られているので、快晴の中で見ればさぞかし目に鮮やかだっただろうけれど、当時は雪が降り出しそうなどんよりとした空模様だったので、その濃い色彩がやけに暗く澱んで見えて、かえって不気味な感じがした。ガラス張りの大きな本堂を横切りながらよく見ると、中に鮮やかな金色の大仏が3体、横並びで座っている。本堂の両脇に、狛犬のような像が建っていたけれど、どうも日本の狛犬と違って、表情が間抜けである。目と目が離れていて鼻が大きく、怒っているのか笑っているのか泣いているのか、全く分からない。しかし何となく見つめてしまうような、憎めない表情だった。しばらくその不細工な動物と見つめ合っているところを、ゼミの友人に危うく撮られそうになった。Aさんが、これは狛犬ではなくて何とかと呼ぶのだと教えてくれたはずなのに、もう名前を忘れてしまった。そろそろ例の「里門」の開店時間である。戻ろうとして門まで戻るときに、門の直前に架かっているお飾りのような小さい橋を渡って、下を見た。小さな池の一部が凍っていて、その薄氷の下に真っ赤な鯉が静かに佇んでいた。

 里門に入る前に、テイクアウト専門のコーヒースタンドに立ち寄った。タブレットからメニューを選ぶとき、一番安いのをコーヒーだと思って注文して、受け取って飲んだらほんのりと甘い。コーン茶だった。メニューの写真では黒くてコーヒーと見分けがつかなかったけれど、甘いということを承知の上で飲むと中々美味しい。店の外に出ると、先ほどよりも雲がどんよりと暗く、一段と冷え込んだような気がする。甘くて温かいコーン茶に励まされて、また狭い路地を通って里門に到着した。

 1時間前とは違って、店の明かりはついていたが、中に入ると僕たちが一番乗りだということが分かった。年季の入ったガレージのような外観とは違い、店内は明るくて清潔である。女性の店員さんが2~3人、協力し合って大量のキムチをお皿に盛っていた。さっきのコーン茶をまだ飲み切っていなくて、店内で飲むのは何となく気が引けたけれど、Aさんは構わずに自分のアイスティーをぐびぐび飲んでいたので、僕も入った郷に従って知らんぷりを決め込んで、少しぬるくなった残りのコーン茶をぐびぐび飲んだ。しばらくすると、注文していたソルロンタンが運ばれてきた。黒い土鍋のような器に、並々と白濁色の牛骨スープが注がれていて、その中にご飯が入っている。先ほど店員さんが準備していたものと思われるキムチもたくさんこちらに運ばれてきて、これは皆でシェアすることにした。まず、キムチを一口食べた。僕は日本の、少し味付けされたようなキムチがあまり好きではない。嚙んでも嚙んでも味付けの味ばかりして、もう飲み込むという段になってもとうとうその正体である白菜の姿を舌の上に探し当てることができないので、結局自分が今まで何を噛んでいたのかはっきりしない。けれど、こちらのキムチはきちんと白菜の味が立っていて、非常に美味しかった。旨さと辛さの加わった、白菜。最後にきちんとその本性を突き止められるキムチだったので、安心してシャキシャキと頬張って、その旨さと辛さを満喫した。パンチのあるキムチとは対照的に、ソルロンタンの味は見た目の通り、非常にあっさりしたものである。土鍋からソルロンタンを、大きなお皿からキムチをそれぞれよそって、自分の小皿にのせて食べているうちに、だんだんとソルロンタンとキムチを食べ分けるのが面倒になってきて、気がついたらまだキムチが残っている小皿に、そのまま牛骨スープを注いでいた。もともと真っ白であったスープに、チラチラと赤色の斑点が浮いている。それを飲みながら、中に浸った白菜も一緒に口の中に入れた。温かくて優しい味のスープから、白菜を噛んだことでピリッとした旨味が溶け出して、口の中でちょうど良い塩梅になる。それがクセになって、ひたすらその食べ方になった。別々に出された食べ物を混ぜ合わせて食べるというのは、日本では「ねこまんま」の例が思いつくので、ひょっとすると今回の食べ方も行儀が悪いと見なされるのではないかと思ったが、Aさんは僕の食べ方を見ながら「それは韓国人がよくやる食べ方だよ」と言って笑っていた。韓国のテーブルマナーはよく知らないけれど、たとえマナー違反であっても、きっと誰でも一度はこのやり方を通るだろう。日本のねこまんまだって同じである。偶然発見された行儀の悪い食べ方ほど、美味しいのである。

 食べ終わって里門から外に出て、観光の続きをしているうちに、途中から粉雪が降り出した。けれども体感としては極寒というわけでもなく、また雪の質もあっさりしたものであるから、目の前からこちらに向かって斜めに吹き付けてくるのを目に受けても、それに風情を見出せる余裕がある。フードを被って、粉雪を避けて下を見ながら歩く。フードで外界の音が少しだけ遮断されて、また視界も狭くなる。目に入る足元の四角いタイルの形が日本と瓜二つに感じるので、一瞬自分が海外にいるのを失念しかける。見慣れた正方形のタイルの配列が微妙にズレて組み合わさりながら向こうまで伸びている。灰色のタイルと青色のタイルがテトリスのように不規則にガチャガチャと組み合わさっているので、日本で時々やるように、灰色のタイルだけを踏むようにしながら、こちらもガチャガチャと不格好な歩き方になって道を進んだ。

 翌日は雪も雨も降らない曇天だったけれど、外に出て歩いているときに街路樹を見たら、木の右側にだけ雪が固まって残っていたので、昨日の雪がどこからどこへ向かって降りつけていたのか一目でわかった。

 帰国して数日が経ったある日、近所で偶然見つけた「小料理屋 錦」という店に入ってみた。小料理屋という名にふさわしくと言って良いのか、一軒家を改築したような古いお店で、入るのにはなかなか勇気が必要だった。中にはカウンターと座敷があって、僕の他にはお爺さんが独りカウンターに座っているだけだった。彼はお酒の少し残ったジョッキを置いて、煙草を吸っていた。一人で切り盛りしているらしいお婆さんは、どことなく韓国の屋台でおでんを出してくれた人に似ていた。僕は彼女に「ネギのすき煮定食」を注文した。そのときも僕は、食べ終わったすき煮の残り汁を、やはりご飯にかけて食べた。