2024年2月某日

 街中を歩いていて、ふと鳴き声が聞こえたり目の端にチラチラと動く気配を感じたりすると、どうしてもその声や気配の主をこの目で確認したくて、鳥の姿を探してうろうろする。

 しかし探し当てたとて、僕にとってはハトとカラスとスズメのほかに名前と外見が一致する種がいないので、尾の長い綺麗な鳥などを発見しても何と呼べば良いのか分からない。同じ尾の長い鳥と言っても、小さくて可愛いのもいればハトくらいある大柄なのもいて、違う種類なのだろうけれど、やはりどちらの名前も分からない。その結果、細かい特徴が記憶に残らないので、翌日に同じような鳥を見ても、本当に昨日と同じなのかはっきりしない。

 とりあえず、僕の中では尾の長い彼らのことを「大きい方」「小さい方」とだけ区別することにしている。こう書くとまるで大便と小便の話をしているようで鳥諸賢に失礼だけれど、僕はハトとカラスのことが苦手であり、その理由はまさに糞が連想されるからである。僕は団地に住んでいることもあり、特にハトの糞によるベランダの被害の悲惨さを身に染み感じているので、ハトやカラスを見ると、自分のことを棚に上げて不潔さを感じてしまう。よく考えてみれば人間だって、先人たちの作りあげた水洗式トイレという画期的発明が仮になかったとしたら、そこいらで用を足さざるを得ないのだから、ハトやカラスとしても人間風情に不潔視される筋合いはないだろう。かつて学校だか塾だかの先生が、昔は水洗式の代わりに「ぼっとん便所」なるものがあって、家庭内で出た糞尿はぼっとん便所の下に貯めておいて、後に肥料として自分たちの畑へと還元されていたというようなことを言っていた。そう考えると水洗式が普及して以降の現代人の糞尿は、いま僕の家のベランダにこびりついている白いのと同様に、身体の外に出て何の役に立つか分からないままうやむやにされているから、ありがたみが無くて余計不潔に思われるのかもしれない。

 話が本当に大便と小便の方に移ってしまって申し訳ないけれど、本来書く予定だったのは尾の長い綺麗な鳥の方である。このあいだ近所を散歩していたら、すぐそこの茂みから「ギィーー!」となんとも不細工な音が聞こえて来て、中から一羽飛び出してきて奥にある大きな木の方へ飛んで行った。見たところ小ぶりなハトくらいの大きさであるから、僕の分類によれば「大きい方」である。何回か目撃しているはずだけれど、こんな断末魔のような鳴き声をしているとは知らなかった。後で鳴き声と容姿を参考に調べてみると、どうやら「オナガ」というのが「大きい方」の正式な名前らしい。ネットの画像を見ると羽と尾の部分が薄い青色で、とても美しい鳥である。僕が実際に見たのもやはりフォルムが美しく、何より身体が大きいので迫力があったのは覚えているが、薄い青色であったというのは、実際に僕がそう見えたのか後からオナガの画像を見て自分の記憶を改ざんしたのか、どうもはっきりしない。先ほどの飛び立った一羽が留まった大きな木に、同じ「大きい方」が他にも3~4羽ほどいた。彼らをずっと見ていると、なんとも幻想的な気分にさせられる。午後4時の傾いた午後の日差しに照らされて、影の具合でより大きく見える彼らが同じ木の枝の間を音もなく往来して、のんびりしている様子を見ていると、その場所がいつも散歩で通っているありふれた道端であることを失念し、どこか神聖な場所であるように錯覚した。翌日か二日後が忘れたが、あまり間を置かずにまた様子を見に行ったところが、そのときは一羽もいなかったけれど、それでかえってご神木のありがたみが増すような気がした。

 最近は、散歩をしているときによく「小さい方」を目撃する。「大きい方」に関しては大きさ自体が記憶に残るのでそれで良いけれど、どれくらい小さいかというのは記憶しづらいので、複数の種類を混同して「小さい方」と強引に思い込んでいるのかもしれない。たしか、僕がよく見るのはスズメとハトのちょうど中間くらいの大きさであったと思う。ところが羽を広げて飛んでいるところを見ると、なぜかハトよりも大きく感じることがある。相当に立派な羽を持っているのだろう。彼らの鳴き声は「ピュイー、ピュイー、ピピ」といった可愛いものであるが、僕は彼らの飛び方が大変気に入っている。ハトなどは飛んでいる間じゅう常に羽をバタバタと動かしているが、僕の見かける「小さい方」はそうではない。いつも少しバタバタしたあと、羽をたたんで気を付けの姿勢のまま、しばらく滑空している。そして自分の重みで少し高度が下がると、また羽を広げてはばたいて、そうしてまた気を付けで滑空するのを繰り返す。その格好が、非常に優雅に思える。考えてみるとその飛び方であれば、鳥側の疲労という観点からもコストパフォーマンスが良さそうだけれど、こうした人間都合の「コスパ」という考えを除外しても、その飛び方の醸し出す浮遊感に何か惹きつけられるものがあって、目に入ると立ち止まって見えなくなるまで眺めてしまう。

 この文章をちまちまと書くようになってから、余計に鳥の鳴き声が気にかかるようになった。以前は素通りだったところで立ち止まり、電線や木の枝の方を見上げてしばらく立ち尽くしていると、ときどき他の通行人からの怪訝な視線を横顔に感じることがあるけれど、そのとき僕は「小さい方」が電線の上に留まりながら、次に飛び立つ方向に顔を向けて、いざ飛び立とうというその直前にその長い尾を上下にピクピクと動かしている様子を観察しているのであって、決して人様の家のベランダに掛かっている洗濯物を卑猥な気分で盗み見ているわけではないのだから、大目に見てほしいと思う。