文旦

2024年2月某日

 近所を散歩中、みかんの木をあちこちの家の庭で見かける。みかんの木であるというのは、僕が見た瞬間にそうと分かったのではなくて、無礼を承知でその木をGoogleレンズでパシャリと撮って、今ごろ知ったかぶりをしているに過ぎない。見た瞬間には、なにやら柑橘類の果実が成っているのは分かったけれど、みかんと断定するにはあまりにも実が大きいような気がした。片手ではとても包みきれず、両手でようやくホールドできるような大きさに見える。そして実が黄色かったので、突然変異した巨大な丸型レモンを趣味で栽培している奇特な住民がいるのかと思った。

 後からGoogle先生に窺ってよく調べてみると、Googleレンズ講師の講義内容が曖昧だったのか知らないが、文旦という黄色くて大きな柑橘類が存在するようで、僕自身もその名を聞いたことがあるし、記憶と照らし合わせてもやはりあれはみかんではなくて文旦の木だったようである。庭の芝生にごろりと落ちていた文旦が二つほど、午後1時の明るい日差しに照らされて、もとから鮮やかであった黄色をさらにキラキラと美しくしていた。

 するとそこに、この前書いた尾の長い「小さい方」の鳥がやって来て、生い茂る葉の中に身を隠したり出てきたり、何やらそわそわしている。彼らにしても、文旦から良い匂いのすることは分かっているけれど、いざ来てみたら皮が丈夫でどうにも手(嘴)が届かないので、やきもきしているのかも知れない。ちなみに僕は最近、鳥に関する知恵が多少ついてきて、今まで言っていた「小さい方」というのは、ヒヨドリだということを覚えた。

夜明け前

2024年2月某日

 朝の6:00よりも前、バイト先に到着したが、鍵を持っている後輩がまだ来ていなかったので、お店の中に入れない。なので、少しだけ辺りを散歩した。コロナが収まってずいぶん経つけれども、未だに飲食店の従業員はマスクを着けるのが習慣のようになっているので、その日も着けたまま歩いていたら、そのせいで眼鏡が曇って、ただでさえ見えにくい視界がますます曖昧になって、訳が分からなくなった。

 まだ日も出ていなくて、街灯と駅のホームの灯り以外には、ほとんど暗闇ばかりで何も見えない。コンビニの裏に回ると余計に暗くて、自分がお店からどのくらい離れて、今どのあたりにいるのかすら掴みづらい。コンビニ裏から庭園へと向かうための急な下り坂がやけに長く見え、底の方に闇が溜まっているように感じる。坂を下り切って、その闇の中に足を踏み入れるのもためらわれるし、坂の途中にある庭園まで行って見ても、当然いまの時間帯に何が見えるというわけでもない。入口の門扉も閉まっている。ただ、真っ暗闇の中で庭園の池だけが、どこかの街灯の光を照り返して、黒い水をゆらゆらとさせているのが柵の隙間から見えていた。

 もうそろそろ後輩も来ているかもしれないと思ったので、引き返そうとして踵を返した。そこでふと、坂の入口両側に立っている街灯が目に入った瞬間、マスクのせいで曇ったメガネに灯りが滲んで、綺麗な暈のようなものが映った。夜明け前の深い暗闇が背景に引っ込んだ代わりに、白やオレンジの街灯から放たれる鮮やかな光の環が視界一杯に広がって、結局それで何も見えないことに変わりはなかった。

2024年2月某日

 ある朝、所用で相模原へ向かう途中に小田急線に乗っていたら、登戸に着く直前に、向かい側の車窓から大きな川が見えた。朝の時間帯に川を眺めることはあまりないから、川が流れているという事象はいつでも変わらないのに、勝手にこちらで新鮮な気持ちがしている。

 朝8時頃の陽射しが川面に反射して、ところどころキラキラと輝いている。名前をもう忘れたが、昔好きだった某チョコレート菓子を包んでいた銀色の紙がばらまかれているように見えた。その包み紙には金色と銀色の二種類があって、僕は金色よりも銀色のほうが良い意味で「助演感」があるので、そちらの方が好みだった。しかし好みであればあるほど、主演である金色の方ばかり食べていた気がする。あえてお気に入りでないメジャーな方にばかり手を伸ばすことによって、かえってお気に入りであるマイナーな方への忠誠心を示さんという、少し考えれば不毛と分かるこだわりを、昔も今も捨てられていない節がある。不毛というのは、そもそもこのような議題に神経と紙面をすり減らすことが不毛というだけに留まらず、意中の人に対する照れ隠しのようなつもりで金色の方にばかり手を伸ばした結果、そのお菓子を食べたときの記憶を思い出すにあたっては、どうしても金色の包み紙を開いて食べて美味しかったということしか出てこない。意中の銀紙女史との思い出は全く記憶にない。むしろ一周回って、自分は金色女史の方が本命であったのではないかという気さえしてくる。諸賢、ミーハーで何が悪い。思えば先ほどの川の輝きも、クールな銀色というよりはむしろ金色の包み紙をばらまいたような、明るくて暖かなものだったような気がしなくもない。ところでチョコレート菓子に対して本命か義理かなどと議論するのは、全く目的と手段とを取り違えている。

 こんな無益なことを書きながら無為に時間を過ごしたことが因果か知らないが、いざ相模原駅に着いたら、本来向かうべきは相模大野駅であったことが分かり、交通費314円を無駄にした。

ソルロンタン

2024年2月某日

 2月の上旬に、卒業旅行でゼミの友人たちと韓国に初上陸した。卒業旅行と言っても、僕は大学3年のときにきちんと単位を取得し切らなかったせいで、大学4年の今学期まで試験や課題に追われるはめになったのだから、ここで言う卒業とはあくまで前借金のようなものである。来月に卒業通知を受け取って、それを以てこの度の思い出の返済をしなければならない。しかしたとえ僕が留年となり、その返済が滞るどころか新たに両親からもう1年分の授業料を拝借するなどということになったとしても、旅先で食べたソルロンタンの味が衰えるというわけでもない。以前に偉い先生が、「人は過去の思い出を現在の色に染める」ということを言っていたけれど、僕が思うに現在の色に染まるのは自分や他者などの人間に関わる思い出だけであって、いくら現在が苦しかろうとかつて食べた美味しいものはやはり美味しいものとして、かつて見た美しい景色はやはり美しいものとして記憶に刻まれて、それ以降改ざんされることはない。

 ところでなぜ旅行先を韓国にしたのかと言えば、ゼミにひとり、韓国人の留学生がいて、その子(Aさん)が帰国がてらに僕たちゼミメンバーを案内してくれるという運びになったからである。2月某日の午前11:00頃に仁川国際空港に到着し、そこから空港鉄道に乗ってソウル市内へと移動する道中、窓外は雪でも降りそうなどんよりと暗い空模様がどこまでも続いていた。収穫が終わって素っ裸になった畑の中に、小さな団地のような無機質な鉄の建物がぽつんと佇んでいるのが、なんとなく物悲しい。

 そのうちに、ホテルのある明洞に到着した。朝8:00頃の飛行機に乗ってから何も食べていないので、お腹が空いている。Aさんが、創業122年だという「里門」というソルロンタンのお店に連れて行ってくれた。ソルロンタンという名前を初めて聞いたけれど、韓国のクッパであるとAさんが教えてくれた。店は路地裏を入ったところにひっそりと佇むガレージのような建物で、鉛色の雲が立ち込めた空を背景にそのガレージが建っているので、余計に年季が入っているように見える。15:30くらいに店に着いたが、開店は16:30であったので、中途半端に時間が余った。開店までの1時間、ずっと我慢していたのでは皆のお腹がもたない。Aさんの案内で、近くの道路脇に建っていた屋台で小腹を満たすことにした。独特の貫禄のある無愛想なお婆さんが切り盛りしている屋台で、以前博多に行ったときの中洲の屋台でも同じようなお婆さんが博多ラーメンを作って出してくれたのを思い出す。Aさんが韓国語でテキパキと人数分の注文をしてくれているのを、寒さと空腹でぼんやりした頭で、無責任に横目で見ていた。やがてお婆さんが、無愛想な表情のまま韓国のおでんとトッポギを出してくれた。地面に段ボールが敷いてあって、その上に立ったまま魚のすり身のようなおでんの串を頬張った。しばらく何も入っていなかった口の中に汁をたっぷりふくんだすり身が入ってきて、噛むと身がむにっとへこんで熱い汁が溢れ出してきた。とても美味しい。寒さと空腹で麻痺した頭が覚める気がした。ふとカウンターの方を見ると、紙コップにおでんの汁をいれたのが人数分置いてあった。お婆さん、有り難く頂戴します。口に含むと、程よい塩気があって少し甘い。それだけで身体がぽかぽかとする気がして、あとは一気に飲み干した。もちもちとしたトッポギも美味しく頂いて、最後に食べ切った串と紙コップを返すとき、慣れないながらも「カムサハムニダ」とそれとなく言ってみたら、お婆さんが受け取りながら心なしか表情を緩めて、何か言ったような気がした。何と言ったのかは分からない。

 16:30までまだ大分時間があるので、歩いて行ける曹渓寺というお寺を観光した。日本のお寺の建物よりも、豪華絢爛という感じがする。門の構えも立派で、建物全体が赤とエメラルドグリーンで彩られているので、快晴の中で見ればさぞかし目に鮮やかだっただろうけれど、当時は雪が降り出しそうなどんよりとした空模様だったので、その濃い色彩がやけに暗く澱んで見えて、かえって不気味な感じがした。ガラス張りの大きな本堂を横切りながらよく見ると、中に鮮やかな金色の大仏が3体、横並びで座っている。本堂の両脇に、狛犬のような像が建っていたけれど、どうも日本の狛犬と違って、表情が間抜けである。目と目が離れていて鼻が大きく、怒っているのか笑っているのか泣いているのか、全く分からない。しかし何となく見つめてしまうような、憎めない表情だった。しばらくその不細工な動物と見つめ合っているところを、ゼミの友人に危うく撮られそうになった。Aさんが、これは狛犬ではなくて何とかと呼ぶのだと教えてくれたはずなのに、もう名前を忘れてしまった。そろそろ例の「里門」の開店時間である。戻ろうとして門まで戻るときに、門の直前に架かっているお飾りのような小さい橋を渡って、下を見た。小さな池の一部が凍っていて、その薄氷の下に真っ赤な鯉が静かに佇んでいた。

 里門に入る前に、テイクアウト専門のコーヒースタンドに立ち寄った。タブレットからメニューを選ぶとき、一番安いのをコーヒーだと思って注文して、受け取って飲んだらほんのりと甘い。コーン茶だった。メニューの写真では黒くてコーヒーと見分けがつかなかったけれど、甘いということを承知の上で飲むと中々美味しい。店の外に出ると、先ほどよりも雲がどんよりと暗く、一段と冷え込んだような気がする。甘くて温かいコーン茶に励まされて、また狭い路地を通って里門に到着した。

 1時間前とは違って、店の明かりはついていたが、中に入ると僕たちが一番乗りだということが分かった。年季の入ったガレージのような外観とは違い、店内は明るくて清潔である。女性の店員さんが2~3人、協力し合って大量のキムチをお皿に盛っていた。さっきのコーン茶をまだ飲み切っていなくて、店内で飲むのは何となく気が引けたけれど、Aさんは構わずに自分のアイスティーをぐびぐび飲んでいたので、僕も入った郷に従って知らんぷりを決め込んで、少しぬるくなった残りのコーン茶をぐびぐび飲んだ。しばらくすると、注文していたソルロンタンが運ばれてきた。黒い土鍋のような器に、並々と白濁色の牛骨スープが注がれていて、その中にご飯が入っている。先ほど店員さんが準備していたものと思われるキムチもたくさんこちらに運ばれてきて、これは皆でシェアすることにした。まず、キムチを一口食べた。僕は日本の、少し味付けされたようなキムチがあまり好きではない。嚙んでも嚙んでも味付けの味ばかりして、もう飲み込むという段になってもとうとうその正体である白菜の姿を舌の上に探し当てることができないので、結局自分が今まで何を噛んでいたのかはっきりしない。けれど、こちらのキムチはきちんと白菜の味が立っていて、非常に美味しかった。旨さと辛さの加わった、白菜。最後にきちんとその本性を突き止められるキムチだったので、安心してシャキシャキと頬張って、その旨さと辛さを満喫した。パンチのあるキムチとは対照的に、ソルロンタンの味は見た目の通り、非常にあっさりしたものである。土鍋からソルロンタンを、大きなお皿からキムチをそれぞれよそって、自分の小皿にのせて食べているうちに、だんだんとソルロンタンとキムチを食べ分けるのが面倒になってきて、気がついたらまだキムチが残っている小皿に、そのまま牛骨スープを注いでいた。もともと真っ白であったスープに、チラチラと赤色の斑点が浮いている。それを飲みながら、中に浸った白菜も一緒に口の中に入れた。温かくて優しい味のスープから、白菜を噛んだことでピリッとした旨味が溶け出して、口の中でちょうど良い塩梅になる。それがクセになって、ひたすらその食べ方になった。別々に出された食べ物を混ぜ合わせて食べるというのは、日本では「ねこまんま」の例が思いつくので、ひょっとすると今回の食べ方も行儀が悪いと見なされるのではないかと思ったが、Aさんは僕の食べ方を見ながら「それは韓国人がよくやる食べ方だよ」と言って笑っていた。韓国のテーブルマナーはよく知らないけれど、たとえマナー違反であっても、きっと誰でも一度はこのやり方を通るだろう。日本のねこまんまだって同じである。偶然発見された行儀の悪い食べ方ほど、美味しいのである。

 食べ終わって里門から外に出て、観光の続きをしているうちに、途中から粉雪が降り出した。けれども体感としては極寒というわけでもなく、また雪の質もあっさりしたものであるから、目の前からこちらに向かって斜めに吹き付けてくるのを目に受けても、それに風情を見出せる余裕がある。フードを被って、粉雪を避けて下を見ながら歩く。フードで外界の音が少しだけ遮断されて、また視界も狭くなる。目に入る足元の四角いタイルの形が日本と瓜二つに感じるので、一瞬自分が海外にいるのを失念しかける。見慣れた正方形のタイルの配列が微妙にズレて組み合わさりながら向こうまで伸びている。灰色のタイルと青色のタイルがテトリスのように不規則にガチャガチャと組み合わさっているので、日本で時々やるように、灰色のタイルだけを踏むようにしながら、こちらもガチャガチャと不格好な歩き方になって道を進んだ。

 翌日は雪も雨も降らない曇天だったけれど、外に出て歩いているときに街路樹を見たら、木の右側にだけ雪が固まって残っていたので、昨日の雪がどこからどこへ向かって降りつけていたのか一目でわかった。

 帰国して数日が経ったある日、近所で偶然見つけた「小料理屋 錦」という店に入ってみた。小料理屋という名にふさわしくと言って良いのか、一軒家を改築したような古いお店で、入るのにはなかなか勇気が必要だった。中にはカウンターと座敷があって、僕の他にはお爺さんが独りカウンターに座っているだけだった。彼はお酒の少し残ったジョッキを置いて、煙草を吸っていた。一人で切り盛りしているらしいお婆さんは、どことなく韓国の屋台でおでんを出してくれた人に似ていた。僕は彼女に「ネギのすき煮定食」を注文した。そのときも僕は、食べ終わったすき煮の残り汁を、やはりご飯にかけて食べた。

2024年2月某日

 街中を歩いていて、ふと鳴き声が聞こえたり目の端にチラチラと動く気配を感じたりすると、どうしてもその声や気配の主をこの目で確認したくて、鳥の姿を探してうろうろする。

 しかし探し当てたとて、僕にとってはハトとカラスとスズメのほかに名前と外見が一致する種がいないので、尾の長い綺麗な鳥などを発見しても何と呼べば良いのか分からない。同じ尾の長い鳥と言っても、小さくて可愛いのもいればハトくらいある大柄なのもいて、違う種類なのだろうけれど、やはりどちらの名前も分からない。その結果、細かい特徴が記憶に残らないので、翌日に同じような鳥を見ても、本当に昨日と同じなのかはっきりしない。

 とりあえず、僕の中では尾の長い彼らのことを「大きい方」「小さい方」とだけ区別することにしている。こう書くとまるで大便と小便の話をしているようで鳥諸賢に失礼だけれど、僕はハトとカラスのことが苦手であり、その理由はまさに糞が連想されるからである。僕は団地に住んでいることもあり、特にハトの糞によるベランダの被害の悲惨さを身に染み感じているので、ハトやカラスを見ると、自分のことを棚に上げて不潔さを感じてしまう。よく考えてみれば人間だって、先人たちの作りあげた水洗式トイレという画期的発明が仮になかったとしたら、そこいらで用を足さざるを得ないのだから、ハトやカラスとしても人間風情に不潔視される筋合いはないだろう。かつて学校だか塾だかの先生が、昔は水洗式の代わりに「ぼっとん便所」なるものがあって、家庭内で出た糞尿はぼっとん便所の下に貯めておいて、後に肥料として自分たちの畑へと還元されていたというようなことを言っていた。そう考えると水洗式が普及して以降の現代人の糞尿は、いま僕の家のベランダにこびりついている白いのと同様に、身体の外に出て何の役に立つか分からないままうやむやにされているから、ありがたみが無くて余計不潔に思われるのかもしれない。

 話が本当に大便と小便の方に移ってしまって申し訳ないけれど、本来書く予定だったのは尾の長い綺麗な鳥の方である。このあいだ近所を散歩していたら、すぐそこの茂みから「ギィーー!」となんとも不細工な音が聞こえて来て、中から一羽飛び出してきて奥にある大きな木の方へ飛んで行った。見たところ小ぶりなハトくらいの大きさであるから、僕の分類によれば「大きい方」である。何回か目撃しているはずだけれど、こんな断末魔のような鳴き声をしているとは知らなかった。後で鳴き声と容姿を参考に調べてみると、どうやら「オナガ」というのが「大きい方」の正式な名前らしい。ネットの画像を見ると羽と尾の部分が薄い青色で、とても美しい鳥である。僕が実際に見たのもやはりフォルムが美しく、何より身体が大きいので迫力があったのは覚えているが、薄い青色であったというのは、実際に僕がそう見えたのか後からオナガの画像を見て自分の記憶を改ざんしたのか、どうもはっきりしない。先ほどの飛び立った一羽が留まった大きな木に、同じ「大きい方」が他にも3~4羽ほどいた。彼らをずっと見ていると、なんとも幻想的な気分にさせられる。午後4時の傾いた午後の日差しに照らされて、影の具合でより大きく見える彼らが同じ木の枝の間を音もなく往来して、のんびりしている様子を見ていると、その場所がいつも散歩で通っているありふれた道端であることを失念し、どこか神聖な場所であるように錯覚した。翌日か二日後が忘れたが、あまり間を置かずにまた様子を見に行ったところが、そのときは一羽もいなかったけれど、それでかえってご神木のありがたみが増すような気がした。

 最近は、散歩をしているときによく「小さい方」を目撃する。「大きい方」に関しては大きさ自体が記憶に残るのでそれで良いけれど、どれくらい小さいかというのは記憶しづらいので、複数の種類を混同して「小さい方」と強引に思い込んでいるのかもしれない。たしか、僕がよく見るのはスズメとハトのちょうど中間くらいの大きさであったと思う。ところが羽を広げて飛んでいるところを見ると、なぜかハトよりも大きく感じることがある。相当に立派な羽を持っているのだろう。彼らの鳴き声は「ピュイー、ピュイー、ピピ」といった可愛いものであるが、僕は彼らの飛び方が大変気に入っている。ハトなどは飛んでいる間じゅう常に羽をバタバタと動かしているが、僕の見かける「小さい方」はそうではない。いつも少しバタバタしたあと、羽をたたんで気を付けの姿勢のまま、しばらく滑空している。そして自分の重みで少し高度が下がると、また羽を広げてはばたいて、そうしてまた気を付けで滑空するのを繰り返す。その格好が、非常に優雅に思える。考えてみるとその飛び方であれば、鳥側の疲労という観点からもコストパフォーマンスが良さそうだけれど、こうした人間都合の「コスパ」という考えを除外しても、その飛び方の醸し出す浮遊感に何か惹きつけられるものがあって、目に入ると立ち止まって見えなくなるまで眺めてしまう。

 この文章をちまちまと書くようになってから、余計に鳥の鳴き声が気にかかるようになった。以前は素通りだったところで立ち止まり、電線や木の枝の方を見上げてしばらく立ち尽くしていると、ときどき他の通行人からの怪訝な視線を横顔に感じることがあるけれど、そのとき僕は「小さい方」が電線の上に留まりながら、次に飛び立つ方向に顔を向けて、いざ飛び立とうというその直前にその長い尾を上下にピクピクと動かしている様子を観察しているのであって、決して人様の家のベランダに掛かっている洗濯物を卑猥な気分で盗み見ているわけではないのだから、大目に見てほしいと思う。

遅刻

2024年2月某日

 学生時代を通して、ほとんど全くと言って良いほど有意義な時間の使い方をしてこなかった僕が、それでもなけなしの自尊心を保つためにすがれる功績は、「早起き」だけである。

 僕は大学1年の終わりごろから某カフェチェーン店のアルバイトをしているが、朝のオープン作業と夜のクローズ作業、どちらも経験して後者の方が圧倒的に向いていないと痛感したため、やがてオープン作業にしか入らなくなった。他の飲食店ではどうか分からないが、クローズ作業はとにかく仕事量が多く、家の手伝いすら全くしたことのない僕には「キャパオーバー」であった。「キャパオーバー」になると、自分の情けなさや未熟さに対する反省よりも、世の中の理不尽に対する怒りと嘲笑が勝るので、かえって自分が大人にならない。自分の情けなさを反省したいなら、自分が許容できるキャパの中で四苦八苦するべきである。キャパを超えても四苦八苦するのなら、それはすなわち病院行きである。

 そういうわけで僕は週に2~3回、朝5:00頃に起床する生活を、かれこれ2年ほど続けている。別に自慢というわけではないが自慢を言っておくと、2年間のうちで寝坊して遅刻したことは一度もない…と言おうと思ったら、ついこのあいだ初めて遅刻した。目が覚めてすぐになんだか嫌な予感がしてスマホを見たら、チカチカやたら明るいホーム画面に「6:28」とあった。当時一緒のシフトだった店長は優しかったので特におとがめなしであったが、おとがめなしということが逆に僕の自尊心の縁(よすが)を破壊していった。こう書いていると説得力がないかもしれないが、裏を返せばその時を除き、僕はバイトに遅刻していない。

 ときどき話のネタにこの「早起き習慣」のことを挙げると、相手は必ず「健康そうで羨ましい」と言うが、その捉え方は間違いである。早く起きているからといって、早く寝ているとは言っていないし、実際に早く寝てはいない。巷では「7時間は寝ろ」などと言われるが、そうなると5:00に起きるのであれば、前日の夜は22:00に就寝しなければならない。大学生というものはそもそも夜型の多い人種なのであって、少なくとも22:00に気持ちよく眠りに就ける者はそうそういないだろう。加えて留意するべきは、僕が「明日はくれぐれも寝坊してはならない」という信念を脳神経にぐりぐりとこすりつけながら眠りについていることである。すると当然ながら、昨今話題の「睡眠の質」なるものは赤点レベルにまで落ち込む。ときどき、寝坊して慌てて店に行ったらなんだかいつもの店ではなく、そこでなんだがいつもと違う知らない先輩に呆れられて惨めな思いをしながら一緒に開店作業をしていたら、もう開店時間を過ぎていたのでこちらにかまわずお客さんが勝手に自動ドアを引き開けて続々と入って来る…という夢を見て起きたらその日はシフトの日ではなかった、ということもある。

 夢は夢なので良いけれど、そのせいで現実の世界でも遅刻してしまうのではかなわない。最近、定期的に歯の治療で家から徒歩30秒ほどのところにある歯医者に通っているが、6回ほど通っていて既に3回くらい寝坊している。毎回何も考えず15:00に来院予約をするが、当日にバイトがあるようなときには、帰ってから14:00くらいにどうしても眠気が襲ってくる。その日の睡眠の質が悪いのと、バイトの疲れが重なるのである。そこで、目覚ましをかけてからひと眠りしようかとも思うけれど、わざわざアラームを設定するのもどうも大げさな気がしてしまう。そのままスマホを弄びながらうつらうつらしていたら、気づいてみるとホーム画面に「15:30」とあった。そんなことが二回続き、その度に電話で謝罪していたが、この間は同じ状況で「15:03」となっていたので、こちらで勝手に以前よりましだと思って、無礼は承知だけれどそのまま強引に医院へ行ってしまった。すると案外何の小言も言われずに普段と同じように治療を受けた。帰りに受付で会計をしながら聞かれた。

「次は約1ヶ月後になりますけれど、いつがよろしいですか?」

「えーと…○月○日の、さ…5時くらいで、お願いします」

「はーい、5時ですねぇ」

 また15:00と言いそうになったので慌てて言い直したけれど、受付の人の応対が心なしかこちらに信用のない様子で、こちらの発言が軽く流されたような気がする。毎回次の予約をお願いするのも、後ほど謝罪をする電話越しの相手もその人なのだから無理もない。診察券の裏側に書かれた「○月○日17:00」の筆跡も、以前のものと比べてどこか投げやりな気がしないでもない。本当に申し訳ないと思うけれど、この投げやりに書かれた17:00には必ずや間に合わせようと内心で誓って医院を去った。

 そういうわけなので、僕の特技は早起きだけれど、そのせいで寝坊するのだから、結局時間に正確な人間ではない。

通学定期券

2024年1月某日

 僕の家の最寄り駅には、定期券を買うための窓口がない。だから通学用定期券を更新しに、3つ隣の駅まで行った。改札口の近くにある窓口に入る。いま手元にある定期券は1月9日が期限切れなので、3か月分の更新をしようと思う。そうすれば、4月の上旬までもつ。しかし4月上旬といえば、僕はいま大学4年生なので、僕の人生が「順当に」いけばその頃は滑稽な顔をして、社会人の皮をかぶって満員電車に揺られているだろう。

 ところで僕の家族も周りの人も、僕が「順当に」大学を卒業できることを前提に色々と話をしてくるので、いちいち困る。年始から石川で地震が起ころうと、航空機と旅客機の衝突事故が起ころうと、それでも自分の人生と身近な者の人生だけは「順当」であり、「順当」でなければならないという思考を脱ぎ去るのは、至難の業のようである。脱ぎ去ってしまえたのなら、いま目の前にある定期券継続の申し込み用紙に自分の名前を書くことすら、恐れ多くてはばかられる。3か月後の自分にまで責任を持ってお金を払うというのは、全く大変なことである。だが、もう窓口に入ってしまった。入ってしまったものは仕方がない。

 窓口の奥には女性の職員の人がいて、よく見ると膝にブランケットをかけて事務仕事をしている。彼女の隣に白い加湿器があって、弱々しく蒸気を吐いている。地下鉄というのはホームも改札も窓口も、どこも何とも言えず生温かい。しっかり温かくないので、冬に地下鉄の駅に入ると、身体の緊張がへんに緩んで身震いする。

「あの…すみません」

「はい、なんでしょう?」

「自分、いま大学4年生なんですけど、今日3か月分購入して、来年4月は社会人になっちゃうんですが、それでも購入できますか?」

「…あぁ、来年“度”ってことですか?」

「…あぁ、そうでした。来年度です。すみません」

「はい、大丈夫ですよ。4月から通勤用定期に切り替えるなら、数日分ムダになっちゃいますけど、それでもよければ」

 少しもったいない気がするけれど、結局3か月分購入した。19,160円だった。さっきからこの文章を書いていて、数字ばかり出てくるので自分でもややこしい。

 新しい日付が印刷された定期券を押し当てて、改札を通る。4月にはまた、僕は通勤用定期を「順当」に買うのだろうか、そう無責任に考える。