遅刻

2024年2月某日

 学生時代を通して、ほとんど全くと言って良いほど有意義な時間の使い方をしてこなかった僕が、それでもなけなしの自尊心を保つためにすがれる功績は、「早起き」だけである。

 僕は大学1年の終わりごろから某カフェチェーン店のアルバイトをしているが、朝のオープン作業と夜のクローズ作業、どちらも経験して後者の方が圧倒的に向いていないと痛感したため、やがてオープン作業にしか入らなくなった。他の飲食店ではどうか分からないが、クローズ作業はとにかく仕事量が多く、家の手伝いすら全くしたことのない僕には「キャパオーバー」であった。「キャパオーバー」になると、自分の情けなさや未熟さに対する反省よりも、世の中の理不尽に対する怒りと嘲笑が勝るので、かえって自分が大人にならない。自分の情けなさを反省したいなら、自分が許容できるキャパの中で四苦八苦するべきである。キャパを超えても四苦八苦するのなら、それはすなわち病院行きである。

 そういうわけで僕は週に2~3回、朝5:00頃に起床する生活を、かれこれ2年ほど続けている。別に自慢というわけではないが自慢を言っておくと、2年間のうちで寝坊して遅刻したことは一度もない…と言おうと思ったら、ついこのあいだ初めて遅刻した。目が覚めてすぐになんだか嫌な予感がしてスマホを見たら、チカチカやたら明るいホーム画面に「6:28」とあった。当時一緒のシフトだった店長は優しかったので特におとがめなしであったが、おとがめなしということが逆に僕の自尊心の縁(よすが)を破壊していった。こう書いていると説得力がないかもしれないが、裏を返せばその時を除き、僕はバイトに遅刻していない。

 ときどき話のネタにこの「早起き習慣」のことを挙げると、相手は必ず「健康そうで羨ましい」と言うが、その捉え方は間違いである。早く起きているからといって、早く寝ているとは言っていないし、実際に早く寝てはいない。巷では「7時間は寝ろ」などと言われるが、そうなると5:00に起きるのであれば、前日の夜は22:00に就寝しなければならない。大学生というものはそもそも夜型の多い人種なのであって、少なくとも22:00に気持ちよく眠りに就ける者はそうそういないだろう。加えて留意するべきは、僕が「明日はくれぐれも寝坊してはならない」という信念を脳神経にぐりぐりとこすりつけながら眠りについていることである。すると当然ながら、昨今話題の「睡眠の質」なるものは赤点レベルにまで落ち込む。ときどき、寝坊して慌てて店に行ったらなんだかいつもの店ではなく、そこでなんだがいつもと違う知らない先輩に呆れられて惨めな思いをしながら一緒に開店作業をしていたら、もう開店時間を過ぎていたのでこちらにかまわずお客さんが勝手に自動ドアを引き開けて続々と入って来る…という夢を見て起きたらその日はシフトの日ではなかった、ということもある。

 夢は夢なので良いけれど、そのせいで現実の世界でも遅刻してしまうのではかなわない。最近、定期的に歯の治療で家から徒歩30秒ほどのところにある歯医者に通っているが、6回ほど通っていて既に3回くらい寝坊している。毎回何も考えず15:00に来院予約をするが、当日にバイトがあるようなときには、帰ってから14:00くらいにどうしても眠気が襲ってくる。その日の睡眠の質が悪いのと、バイトの疲れが重なるのである。そこで、目覚ましをかけてからひと眠りしようかとも思うけれど、わざわざアラームを設定するのもどうも大げさな気がしてしまう。そのままスマホを弄びながらうつらうつらしていたら、気づいてみるとホーム画面に「15:30」とあった。そんなことが二回続き、その度に電話で謝罪していたが、この間は同じ状況で「15:03」となっていたので、こちらで勝手に以前よりましだと思って、無礼は承知だけれどそのまま強引に医院へ行ってしまった。すると案外何の小言も言われずに普段と同じように治療を受けた。帰りに受付で会計をしながら聞かれた。

「次は約1ヶ月後になりますけれど、いつがよろしいですか?」

「えーと…○月○日の、さ…5時くらいで、お願いします」

「はーい、5時ですねぇ」

 また15:00と言いそうになったので慌てて言い直したけれど、受付の人の応対が心なしかこちらに信用のない様子で、こちらの発言が軽く流されたような気がする。毎回次の予約をお願いするのも、後ほど謝罪をする電話越しの相手もその人なのだから無理もない。診察券の裏側に書かれた「○月○日17:00」の筆跡も、以前のものと比べてどこか投げやりな気がしないでもない。本当に申し訳ないと思うけれど、この投げやりに書かれた17:00には必ずや間に合わせようと内心で誓って医院を去った。

 そういうわけなので、僕の特技は早起きだけれど、そのせいで寝坊するのだから、結局時間に正確な人間ではない。