通学定期券

2024年1月某日

 僕の家の最寄り駅には、定期券を買うための窓口がない。だから通学用定期券を更新しに、3つ隣の駅まで行った。改札口の近くにある窓口に入る。いま手元にある定期券は1月9日が期限切れなので、3か月分の更新をしようと思う。そうすれば、4月の上旬までもつ。しかし4月上旬といえば、僕はいま大学4年生なので、僕の人生が「順当に」いけばその頃は滑稽な顔をして、社会人の皮をかぶって満員電車に揺られているだろう。

 ところで僕の家族も周りの人も、僕が「順当に」大学を卒業できることを前提に色々と話をしてくるので、いちいち困る。年始から石川で地震が起ころうと、航空機と旅客機の衝突事故が起ころうと、それでも自分の人生と身近な者の人生だけは「順当」であり、「順当」でなければならないという思考を脱ぎ去るのは、至難の業のようである。脱ぎ去ってしまえたのなら、いま目の前にある定期券継続の申し込み用紙に自分の名前を書くことすら、恐れ多くてはばかられる。3か月後の自分にまで責任を持ってお金を払うというのは、全く大変なことである。だが、もう窓口に入ってしまった。入ってしまったものは仕方がない。

 窓口の奥には女性の職員の人がいて、よく見ると膝にブランケットをかけて事務仕事をしている。彼女の隣に白い加湿器があって、弱々しく蒸気を吐いている。地下鉄というのはホームも改札も窓口も、どこも何とも言えず生温かい。しっかり温かくないので、冬に地下鉄の駅に入ると、身体の緊張がへんに緩んで身震いする。

「あの…すみません」

「はい、なんでしょう?」

「自分、いま大学4年生なんですけど、今日3か月分購入して、来年4月は社会人になっちゃうんですが、それでも購入できますか?」

「…あぁ、来年“度”ってことですか?」

「…あぁ、そうでした。来年度です。すみません」

「はい、大丈夫ですよ。4月から通勤用定期に切り替えるなら、数日分ムダになっちゃいますけど、それでもよければ」

 少しもったいない気がするけれど、結局3か月分購入した。19,160円だった。さっきからこの文章を書いていて、数字ばかり出てくるので自分でもややこしい。

 新しい日付が印刷された定期券を押し当てて、改札を通る。4月にはまた、僕は通勤用定期を「順当」に買うのだろうか、そう無責任に考える。